釧路新聞の略系譜

第1次釧路新聞

明治33(1900)年10月5日創刊

 ※官吏侮辱罪で12月廃刊

 


第2次釧路新聞

明治35(1902)年7月28日創刊

 

※戦時統制の「新聞規制法」により道内11社の新聞が統合され昭和17(1942)年11月「北海道新聞」として統合された。 

 

 

 


 第3次釧路新聞

昭和30(1955)年12月創刊


武富隆太郎(後の第5第釧路町長)、中村定三郎(山形商店支店長)、小島隅太郎(後の釧路町会議員)らが出資をして設立。

 


 第1次釧路新聞と同じ出資者により明治34(1901)年1月「北東日報」創刊。同年11月14日、真砂町の大火によって社屋が全焼し廃刊。

その後、白石義郎が中村定三郎等の支援を受けて「釧路新聞(第2次)」を創刊。社屋はオダイト38番地。

啄木が釧路に着任する前の日に、現港文館となる新社屋を完成させた。

 


現在の釧路新聞社。

第2次釧路新聞とは別系統であった。